「明日、死ぬかもよ?」というどストレートな本を読んで思ったこと
明日、死ぬかもしれない ▼
先日、一冊の本と出会いました。
それが「あした死ぬかもよ?」という本。
駅前の本屋で、横目で通り過ぎようとしたわたしの目が、そのどストレートなタイトルをとらえ、気付いたときには自然と店内に足が向かっていました。
何年か前に友人に進められて、たまに探していたけれど出会えなかった本。
なんとなくこのタイミングで出会ったということに、何か意味があるような気がして、迷わずに購入しました。
どういうわけか、人は自分だけは死なないと思っている ▼
『あした死ぬかもよ?』は、自分の真意を問う27の質問で構成されています。
・いま失ったら嫌なものはなにか
・お墓になんと刻まれたいか
・いま死んだらあなたのお葬式に参列するのは何人か
そんな質問がつらつらと並びながら、話は進んでいきます。
その中でも、わたしに刺さったのが
「人生最後の日、なにに泣きたいほど後悔しますか?」
という質問。
もし明日死ぬとしたら、
世界一周の夢を叶える前に死んでしまったことも、
会いたかった友達と、最後に遊べなかったことも、
大好きなあの人に、もう一度会えなかったことも、
死ぬほど後悔するでしょう(死んでいるから後悔できないかもしれないけれど)
だけれどそれ以上に後悔すること。それはそんな悩めるわたしを作ってくれた
親に「育ててくれてありがとう。この世に産んでくれてありがとう。大好きだよ」を伝えなかったこと だなと。
その瞬間、ちいさくなった父親の丸い背中が頭をよこぎりました。
自分のそばで当たり前に笑っている親も、明日死ぬかもしれない ▼
「どういうわけか、人は自分だけは死なないと思っている」そしてそれ以上に、
「親は絶対に死なない」と思ってる。とこの本には書かれています。
この言葉に、共感せずにはいられませんでした。
何故だか親が死ぬなんて想像できない。わたしを含め、きっとそう思っている人は、少なからずいるのではないでしょうか。
だけれど残念なことに、私たちは確実に死んでしまうし、親だって死んでしまう。そしてそれがもしかしたら「明日」かもしれない。
そう思った瞬間、だったら今、この生きている奇跡みたいな瞬間に、親に気持ちを伝えておかなくちゃ。そう思いました。
今日この瞬間、幸せな日常は決して日常ではないこと。
肩の力はゆるっと抜きつつ、だけどその自覚をきちんと持ちながら、伝えられるときにきちんと気持ちを伝えよう。
もう1度、はじめから読み直したい大事な本になりました。