強さはいらない。弱虫のまま旅にでる | 旅とコラム

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不登校

人見知り。

引きこもり。


わたしの10代を改めて振り返ってみると、

決してポジティブではないワードがぎっしり並び、

じっとこちらを見つめている。
彼らは、今もはるか遠くに行く事は決してない。

ふとした瞬間に頭を持ち上げては、

わたしを優しく包み込もうとしてくれる。

振り落とそうと、一生懸命に背伸びしてみた事もあった。

だけれどそのたび

「なれない自分」と

「なりたい自分」

の間で宙ぶらりんになっては、

どっと深く落ち込んでいた。

 

10代という多感な時期を、

べったりと骨の髄まで一緒に過ごしてしまった彼らは、

ぎゅっと足首を掴んで、離れようとしないのだ。

だからこそ、もう弱虫であることをそのまま、丸飲みにして進むことにした。

 

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「旅先ではどんな過ごし方をされていますか?」

インタビューや登壇時によく、そんな質問をされる。


「かわいいものが好きなので、雑貨を買いに行ったり、お洒落なカフェでのんびりしています」とか

「現地ではカメラを持って、まだ出会ったことのない世界を切り取りにいきます」

とか。

 

色鮮やかな写真を見せながら答えるたび、

その裏側に潜むものたちの存在を、

頭の片隅で感じずにはいられない。

そのたび、口の中がざらりと、

ベタベタとした砂糖の質が悪い

飴のような食感で包まれた。


決して嘘ではない。
けれど。

 

羽が生えたように。
水を得た魚のように。
ドラマチックな物語のように。

 

わたしの旅はそんな艶やかで軽やかな、

まるで夢や希望に満ちあふれた世界とは、

たぶん、180度真反対のところにいる。

日常と旅の境界線上がどこだか見えにくい、

そんな、とてもリアルな旅だ。

 

外に出るのが億劫で、

覚悟を決めるのに何時間もかかってしまうし、
新しく出会った人との会話に、

心臓が飛び出るほどに緊張して

何も言えなくなってしまうし、
エネルギーが切れて、

何日も部屋の中にこもってしまったりする。

結局、引きこもりだったあの10代の頃と、旅人のわたしは、

見え方は違えど、なにひとつ、根本にあるものが変わっていないのだ。

 

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自分の中の弱さを理由に、あたらしい扉を叩くことを、諦めてしまうのは辛い。

だけどなりたい自分となれない自分の間で、

もがいて溺れてしまうのは、きっともっと辛い。

だからこそ、どちらかを一方を排除するのではなく、どちらも受け入れて歩んでいく。

 

そこに強さは必要ない。

必要なのは、受け入れる覚悟だ。

 

わたしがこの先、

軽やかでドラマチックな旅人になれる日は、

多分だけど、こない。

だけれどそれで良い。

 

だってきっとその分、

弱虫のわたしにしか見えない角度で、

世界を切り取ることができるから。

 

弱さは、短所じゃない。

自分の個性をつくってくれる、

大事なスパイスだ。

だから潰さないで、つれていく。

 

そんな弱虫な旅人が、

いつか同じような弱虫の背中を、

そっと押せる日がくるといい。

 

自由に世界を浮遊することに、強さはいらない。

自由に世界を浮遊できないことに、弱虫はきっと、理由にならない。

 

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