【ご報告】長野県から神奈川県に引っ越しました
こんにちは、のっちです。
先日、8ヶ月間住んだ長野県を卒業して元々いた横浜に帰ってきました。やっぱりこっちは人が多いなぁという印象。だからといって、長野と神奈川を比べて、どちらが良い!というわけではないです。どちらもそれぞれ良い場所だし、好き!
こっちにかえってきたことを友人たちに連絡すると「なんで長野に行ったの?」と聞かれることが多いので、なぜわたしが長野にいたのか(いくことになったのか)ひとりごとのように記しておこうと思います。
家賃1万円。のびのびすごせる生活に惹かれて
サテライトオフィスの話が本格的に動く中で、当時デザイナー(&ディレクター)だったわたしに、とつぜん降ってきた移住とキャリアチェンジの話。
いろいろ悩みましたが、心を1番大きく動かしたのが「長野県ののんびりした雰囲気に惹かれたこと」そして「家賃が安くすむため、世界一周の資金を貯められること」でした。
選択を羅列したときに、どちらかというと多かったのはポジティブな選択より、保守的な選択でした。
その後実際に下見にいったオフィスは、すごくのんびりな空気が漂っていて。「ここなら体制を整えられるかもしれない」と、自分を立て直すためにも、移住を選びました。
オフィスも一緒、住まいも一緒の24時間ずーっとべったりな環境でしたが、特にそれが苦になることはありませんでした。条件通り家賃も1万円だったので、お金もたまりやすかったです。
東京に勤めていたころより、気持ちはのびのびできそうだな〜、と思っていた矢先。
思わず心ごとポッキリいってしまいそうなくらいの出来事があったり。
移住したのが2015年の8月あたりなのですが、正直その年の11月くらいまでの記憶があんまりないんです。勿体無いことに、平日も土日もまじでなにをしていたのかまったく記憶にない。
何が辛かったのかは濁しておきますが、決して環境のせいではありません。それは多分、東京にそのままいてもおきていたことで。
ただ、あまりにしんどかったその出来事は、激しくわたしを消耗しました。
40度近くの熱を出したこともあったし、何かがぷつんと切れて、2週間近く何もできなくなったこともあったし、何日も寝れないこともありました(気づいたら泣いてたときもあった)
それでも、がんばってみること
よく最初にきめたことを、「話が違う!こんなのおかしい」と投げだす人がいます。
それが不正解だとは思わないけれど、その選択した自分にも、半分は責任があるはずなんです。それを嘆いて投げ出したって、人生また同じような試練にぶつかるときだってある。少し宗教じみた言葉になってしまうけれど、神様は超えられない試練は与えない。
だったらわたしが考えるべきは、いかに順応するかそして、順応しつつどう学ぶのか。今手元にあるもので、捨てても困らないものを理解して、とにかく解決するための時間を生み出すこと。やるべきことは、すごくシンプルでした。
そんな日々の向こう側にあったもの
長野県でいっぱい大事な友達もできたし、いろんな場所にもいきました。
住む場所としては、とても良い場所だなぁという印象。
ただ、周りから「たのしそう」とか「のんびりしてそう」と言われた、約8ヶ月間の移住生活は、わたしにとっては戦争だったし「楽しい」より「辛い」のほうが、何10倍も大きかったです。
それでも逃げずにあの出来事に立ち向かったことは勇気になったし、これからもわたしを支え続けてくれる糧になったと思います。
ということで、ノンストップできてしまったので今度こそ世界中回りながらゆっくりしたいと思います。移住は後悔していないし、あのタイミングで飛ばしてくれた会社にも、結果感謝しています。住んだことのなかった長野県も、とても大事な場所になりました。
わたしを成長させてくれた生活、そして一緒に過ごしてくれたみんなもありがとう。これからも、よろしくおねがいします。
いろいろ濁した記事になってしまいましたが、大人の事情ということで・・・。
そんな感じで、旅の準備のため神奈川県に戻ってきました。本格的に出発が、近づいている感じ!