言葉はときに意図せず、相手を殺す凶器になる
「毎日ブログ書くぞー」と高々と宣言して1週間、さっそく3日サボりました。
会社員しながらブロガーしたり、絵師している人の精神力ってすごすぎる……。それこそ「好き」ってパワーの凄さなんだろうな。自分の覚悟の足りなさを実感しながら、 ずるい私はしれーーーっと空いた時に3本書いて、とりあえず毎日書いていたことにしてしまおうと思います。ひとまず今日は昨日のできごとを。
感情の電源をシャットダウンさせた1通のメール
いつものように仕事を終えた19時半。それは突然、自然災害のようにわたしに降りかかってきました。終礼を終えPCを閉じ席を立とうとした矢先。お世話になっている人から、1通のメールが飛んできました。そこに並んでいた言葉は、何度読んでも頭に入ってこないような、理解に苦しむもので。あまりにも理不尽な、とても納得できないような内容が羅列されていたんです。
信頼していた人からの、あまりに辛辣な言葉たち。丁寧にこれまで積み上げていた石を、思い切り片手でなし崩しされたような、そんな乱暴な映像が頭の中を繰り返し、繰り返し流れていきました。
途端に何もやる気がなくなり、何を言い返しても満たされないだろうな、という諦めと絶望感。体についているすべての電源はシャットダウンし、いくらあやまられても、その言葉を消すことはできなくて。たのしみにしていた映画も、寄り道も、気になる人とのメールも、すべてを投げ出しその日はとにかく眠ることにしました。自分を守るために。
どれくらい言葉を「選んだ」のだろう
何気ないおしゃべりが、ブログが、ツイートが。
言葉はときに凶器になります。知らず知らず、誰かの心を深く深く、傷つけるかもしれない。 1度口から出てしまった言葉は、もう取り消せない。
どんなに拭おうとしても、べったりとその人の心に大きなシミを残す場合だってある。 わたしにあのメールを送りつけた彼は、どれくらい言葉を「選んだ」のだろう。どれくらいの時間を裂いてくれたんだろう。そんなことを考えながら、これまで築いた信頼関係が崩れ去っていくのを、ただただ悲しい気持ちで、横目で見ていました。
言葉は人の心を種として表れた「葉」
「言葉」は、人の心を種として表れた「葉」なのだと表現されています。種となる人の心は見えないけれど、人の口から出た「言」の「葉」によって、私たちはそこに託された人の思いを知り、想像します。
だからこそ丁寧に扱わなければ、それは凶器となって人の心に突き刺さり、いつまでも大きな跡を残すことになります。
今回の1件は、自分の「ことのは」を見直す大きなきっかけになりました。 言葉は誰かを傷つけるためにではなく、誰かを喜ばせるために使おう。そのために、その人に届ける言葉で「大切なことはなにか」きちんと知ろう。
そんなことを思った、火曜日でした。
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— 古性 のち (@nocci_84) 2018年6月13日
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